寝る間際に、ジョンが
「明日はどうするつもり?」と聞いてきたので、
「いや、何も予定がない」と答えると、
「えーー、そんなのだめよ、なんかしなくちゃ。
どっか行きたいところないの?」といわれました。
いやぁ、疲れてるから休んでいてもいいんだけどなぁ、と思いながらも、
「まあ、強いていえばニュー・アムステルダムかな」と答えてみました。
すると、
「ちょっと待って、ニュー・アムステルダムって言ったら、
ヨランダがいるじゃない。
あなたラッキーね、私がコーディネートしてあげる」と言って、
電話帳から仕事仲間の電話番号を探し当てて、
ヨランダと連絡をとりはじめました。
そしてジョンは電話口でテンション高めに会話しながら、
メモをとり始め、電話を切ったころには満面の笑みで
「予定、決まったわよ」。
親切!!!
そんなわけで、朝も早くから起きて、せっせと支度をして、
今日はガイアナ第二の都市、ニュー・アムステルダムに行ってきました。
ニュー・アムステルダムへは、ミニバス、フェリー、タクシーを乗り継いでいきます。
距離的には遠いのですが、
移動にはあまりお金がかかりません。
ジョンにもらった「ニュー・アムステルダムへの行きかた」というメモを見ながら、
ミニバスに乗って、ボーっとしてたら2時間ぐらいして
ニュー・アムステルダムの対岸、バービスにつきました。
ミニバスを降りるときに、どうしたらいいのかわからないでいると、
いっしょに乗っていたおじさんが
「こっちにこい」といってやり方を全部教えてくれました。
このおじさんは、むちゃくちゃなまった英語を使っていたので
まったく聞き取れなかったのですが、
何度も何度も聞き返して、やっと意味がわかりました。
おじさんの名前はホッセウと言って、
「俺はガイアナ人じゃなくて、外国からきたんだ」といっていました。
国名は忘れましたが、途上国だった気がします。
ホッセウのおかげで、怪しいタクシー運ちゃんに引っかかることもなく、
ミニバス運ちゃんにさらわれることもなく、
無事にバービス河を渡り、ニューアムステルダムにつきました。
その後も、ホッセウのおかげでスムーズに目的地までたどり着くことができました。
今回の目的地は「ニュー・アムステルダム病院」。
この病院は日本政府の資金援助で建てられたもので、
なんとこの日曜日に開業したばかり。
出来立てほやほやです。
病院で待っていると、ヨランダがくるはずだったんですが、
かなり長い時間待ってもなかなか来ません。
警備員は「そのうちくるさ」というだけです。
炎天下の中で、ずーっと待っているのはかなりしんどかったですが、
昼寝をしながら気長に待っていました。
なんていったって、ここはガイアナ。
ガイアナはのーんびり、時間なんて気にしないのさ。
ヨランダはかなりしてからやってきて、
「まだ仕事中なの、
いっしょに仕事の様子見に行く?」と聞いてきました。
行く、といっていっしょについていくことにしました。
ヨランダはガイアナ人の29歳女性で、ガイアナ大学を卒業後、
現在はナショナル・パークのスタッフとして、
病院の芝生を養成しています。
ヨランダとともに、芝生を刈りに、
さらに砂糖畑を横目にガイアナの町並みを車でドライブしました。
その後、きっとニュー・アムステルダムで一番のレストランに入って
お昼を食べました。
とってもまずかったです。
一応残さず食べましたが、心の中では
「あーーー、日本食くいてー」と連呼していました。
そして、食後にニュー・アムステルダムの新興住宅地をみて回って、
きた道を帰り、無事にジョンの家までたどり着きました。
一人で旅したので、かなり緊張しながらでしたが、
帰りにミニバスにさらわれそうになったのをのぞいては
いたって安全なたびでした。
でも、疲れて頭が痛くなってきました。

首都ジョージタウンを少し離れるとその爪あとをしっかりと残していまいした。

この売店でコーヒーを飲んでいました。
こうやってみると栄えているように思いますが、
売店はこの3軒だけ。
ぜんぜん栄えていません。

なかなか来ませんでした。
フェリーで20分ぐらい乗っていると対岸につきます。
運賃わずかG$40(30円ぐらい)。
安い!!

水は限りなくミルクティー色ですが、
場所によって濃さが違います。
こいミルクティーと薄いミルクティーです。

ホッセウは
「ぐるっとみてまわって、写真とってきたら戻ってこいよ」といって、
待っていてくれました。
フェリー内を歩いていると、やっぱり「チャイニー」「チャイニー」と声をかけられ、
みんなの視線が私に集中していました。
そんなに珍しいんかなぁ?


道路の状態は結構よかったように思います。
右の青やらオレンジやらの車がミニバスです。
お尻に番号がついていて、50番だったらジョージタウン-ハービス間を往復しています。


「何歳なの?」と聞くと、
「ファイティー・ファイブ」とこたえました。
55歳(フィフティー・ファイブ)だそうです。
うちのお父さんぐらいの年ですな。

港ではタクシーの運ちゃん、ミニバスの運ちゃんに取り囲まれましたが、
ホッセウが話をつけて、事なきを得ました。
そして、ホッセウとともに病院までいき、病院で別れました。

ガイアナには似つかわしくない、とても立派な建物でした。
入り口には日本の国旗がたなびいていました。
「日本も、こういう形で世界の役に立てるんだな」と思いました。

病院の職員ではありませんが、病院を案内してくれました。


家はたくさんありました。

ほとんどがトヨタ製の中古車でした。

ここの道には、壁に「PNCに投票してください」との落書きが。
政治的な色彩が強い町なんでしょうか?

それを病院にもっていって、植えると、病院が緑になるという寸法です。
が、あいにくホンダ製芝刈り機は故障中。
結局直らず、本日の作業終了。

この右側に次の写真の砂糖畑があります。

時代錯誤な風景が広がっていました。

ヨランダの仕事仲間はみんなこのさとうきびみたいな物をかじりながら
仕事をしていました。

湿地帯の向こうはサバンナです。
めまぐるしく風景が変わっていきます。
奥には野生の牛と馬がいます。

水の中からニョキっと出ているのは、少し違和感がありました。


広大な土地で砂糖を作っています。
機械を使えばいいものを、なぜか手作業で刈っていました。

この後、ちょっと襲われそうになったけど、
叩いたら逃げていきました。


塗装もしていなければ、蚊も入り放題。
どうやって生活しているんでしょうかね?
蚊には刺されないんですかね?



暑いのですが、風のおかげで別に気にならないほどです。

落ち着いていて、どことなく暗いです。

日本でこんな風に休んでいたら、
「ご気分悪いんですか?」と声をかけられそうです。

あきらめてかえることになりました。

砂糖畑の労働者を中心に、ここ10年ぐらいで建てられた家ばかりだそうです。


道路の両側にだけ家があります。
そして、ジャングル、サバンナ、ジャングル、家、ジャングル、みたいに景色がめまぐるしく変わります。

野生の牛やら馬やら、犬やら山羊やらがいます。

近くの公園では若者がクリケットに興じていました。
イギリスの植民地であった名残はいまも残っていて、
クリケットはそのひとつです。

ジョンのマンションの近くの人なので、
ガイアナ人ではない外国人かもしれません。

ブラジル大使館かなんかでした。

もうガイアナ料理に飽きてきたので、夜はスパゲティーを食べました。
ここでもジョンは
「わたしにんにくが大好きなの」といって、にんにくをむちゃくちゃ入れていました。

疲れて笑顔もひきつり気味です。
なんにせよ、無事に帰れてよかったです。